いまごろ
障がい者の対人援助の仕事をしていたころ、人というのはどんなに話し合ったりしていても、結局は理解しききるのは不可能で、理解しようとする気持ちは失ってはいけない。ということを、お経のごとく頑固に貫き通していました。
なぜなら私自身、「あなたはこういう人だから、こうしました。」といわれるのが大嫌いだったから(笑)
でもふと思いました、人と人との基礎の部分は共通ならば、笑い、悲しみが共通ならば、私に必要なのは、人を「理解」しようとすることではなく、「共感」することだったのだろうかと。相手がしてほしかったのはその人のマニュアルづくりではなく、この時この場所で、一緒に笑ったり泣いたり、してほしかったのかと…
決めつけているのは私でした。
大学で学ぶことさえ基礎の部分と気づいたり、どこまで子供なのか。
でもまぁ、気づけたのだから良いとしよう。
今後に生かせれば、ね。